1月、本ブログで、大阪の自転車販売の在日朝鮮人支配ついて投稿しました。「鉄くず」収集などの静脈産業を生業としていた在日朝鮮人が、中古自転車販売のローカルチェーン店を展開し勢力を伸ばしているという現状に問題点があるという内容の投稿です。
詳しくは、その投稿を読んでいただきたいのですが、「そもそもなぜ在日朝鮮人が鉄くず収集を支配的に行っているのだろうか」と疑問を持っていると、その歴史的な経緯を紐解くような小説を見つけたので、その舞台をポタリングしてきました。
梁石日「夜を賭けて」
1994年に発売された小説で、2002年には山本太郎主演で映画にもなった作品です。梁は朝鮮・済州島出身の在日の小説家で、実父をモデルとした代表作「血と骨」も崔洋一監督、ビートたけし主演で映画化され、高い評価をえています。
梁の出世作となった「夜を賭けて」は、終戦間もない頃の大阪の在日朝鮮人による怪盗団「アパッチ族」を描いた作品です。
大阪城公園の北東側の端に明治期に建てられた古びた廃墟が残されています。このレンガ造りの建物は大日本帝国軍の兵器工廠で、太平洋戦争の終戦まで陸軍の兵器を製造していました。
かつては、天守閣周辺の森ノ宮から大阪ビジネスパーク辺りまで一帯が巨大な軍事施設で、極東最大の設備や技術力を誇り、シマノの創業者島野庄三郎や日本自転車産業の父・宮田栄助もこの施設で従事しました。
明日 十四日 大阪を くうしゆうします
このばくげきがさいごで あります 一九四五年 U.S.A.
大阪上空より爆撃予告が投下され、終戦前日の8月14日に大阪はB29による空襲で焦土となり、工廠も大きな被害を受けました。工廠跡は近畿財務局の管理下に置かれますが、不発弾の残る一帯は立ち入りが禁止され、長らく放置されていました。
物語は、在日朝鮮人の「ババア」が誰も立ち入らない工廠跡で拾った「鉄くず」が5万円で買取された噂が広がるシーンから始まります。
1923年、関東大震災が発生。朝鮮人は「火事場泥棒をした」「井戸に毒を入れた」と差別され、大阪は以後現在に至るまで日本最大の在日朝鮮人の居住区となります。なかでも大阪市の東部を南北に流れる平野川周辺に肩を寄せ合うように住み着きました。「ババア」の住む集落は平野川の北端にあたり、地区には現在も朝鮮籍の住居が点在しています。
大阪城公園内には「ピースおおさか」という戦争資料の調査研究や展示を行っている施設があり、当時の様子を調べることができます。1960年当時の大阪の物価の展示を見ると、中華そば1杯55円、たこ焼き12個30円、サイダー35円、お好み焼き80円、散髪200円、ランドセル3000円、そして自転車は1万8000円だったあります。
今と比べると10分の1ほどの物価水準で、自転車の価格だけ現在とかわらず、鉄が高価であり、ババアの手にした金額が大金であることがわかります。
小説ではババアの噂は一夜で集落中に広がり、朝鮮人窃盗団が警察の目を盗み夜な夜な工廠内に侵入し、盗みを働く様子が、さながらアニメ「ルパン三世」のような活劇として描かれています。この朝鮮人窃盗団は実在し、梁は映画公開時にキム・ジジョンという人物が小説のモデルであったことを明かしています。
金時鐘(キム・ジジョン)、1929年朝鮮半島生まれ。
49年に日本に密航し、翌年に共産党に入党したキムは52年に「吹田事件」に関与します。「吹田事件」とは朝鮮戦争に反対する左翼運動の暴力事件で「血のメーデー事件」「大須事件」と合わせて「三大騒擾事件」とされている事件です。キムは「山越部隊」の一員として「笹川良一宅襲撃」や「吹田操車場襲撃(吹操襲撃)」に関わったとされている要注意人物でした。しかし、重要な襲撃当日にキムはあろうことか緊張のあまり脱糞、後にこの時の自らの様子を脱北者ならぬ「脱糞者」と称した詩を発表しています。
ズボンの/内側を/はぎとり/むれる/悪臭の/修羅場を/城ごと/あけ渡したのだ。
悲哀とは/山に包まれた/脱糞者の/心である。 (金時鐘「わが生と詩」から詩の一部を抜粋)
この事件は警察の不手際が重なり、裁判で弾圧の不当性を訴え司法は紛糾(吹田黙祷事件)、有罪となる証拠がそろわず騒擾罪が適用されませんでした。そして、その後にキムは怪盗「アパッチ族」となります。
在日集落といえば、生野「御幸通り商店街」や鶴橋のように、韓流グッズ店やおいしい焼肉やチキン店がたくさんあるのかと想像していましたが、実際に行ってみると、この「アパッチ集落」は西成の崖下のような老朽化した木造住宅が密集していて、残念ながら観光を楽しむようなところではありませんでした。
再開発され大型の福祉センターなどに建て替えられている箇所もありましたが、廃墟のような状態のバラックや入り組んだ路地に洗濯物が干されていて、どことなく一帯に異臭がただよっているような感じがしました。
耐えかねて平野川沿いにでると、川一面が見たことないほどの夥しい数のボラの死骸で覆いつくされていて、行き場を失った水鳥がゆっくり流れる悪臭の元を眺めていました。
(「吹田事件」に続く)