松下幸之助歴史博物館に行ってきました。
パナソニックミュージアム松下幸之助歴史館は、大手電機メーカーPanasonicが運営している企業博物館です。大阪・門真市所在し、無料で貴重な同社の歴史資料や創業者松下幸之助の足跡をたどることができる施設となっています。
大阪市内からだと自転車で1時間ほど、京阪電車なら西三荘駅から歩いてすぐの場所にあります。
施設は1968年開設のようですが、改装されていて分かりやすく落ち着いた雰囲気になっています。
コロナで密になるを懸念していましたが
私が伺ったのは平日だったので、ほとんど来場者はいませんでした。
松下幸之助は和歌山に生まれ、わずか9歳で大阪・心斎橋の八幡筋にあった宮田火鉢店に丁稚奉公に出されます。しかし、勤め始めて数ヶ月で火鉢店は廃業となり、幸之助少年は船場にあった五代自転車店で商売のいろはを叩き込まれることになります。
23歳になった幸之助は、親戚縁者の井植歳男と共に電気器具の製作所を立ち上げ、事業を軌道に乗せます。井植は後に三洋電機を立ち上げ、良きライバルとなり共に大きな企業へと成長しています。
公園の水道水を飲んでも誰にも咎められない
幸之助は「産業人の使命は貧乏の克服である」とし、その為には物資の潤沢な供給により、消費者の手に安定的に良質なものを提供し豊かな社会を創造するべきだと考えます。この経営思想は「水道哲学」といわれ、以降の日本的経営の規範となっていきます。
話は逸れますがサイクルショップ203が「スポーツ自転車の大衆化」を標榜しているのも、この水道哲学が大きく影響しています。多くの人がスポーツ自転車を活用することで、豊かな自転車社会ができるのではないかという考えです。
元号が昭和に変わり、幸之助も32歳になったとき、少年期の丁稚時代の自転車店での思い出が蘇ってきます。
自転車用のコンパクトなランプを作り、これを国民の必需品にしようと商品名を「ナショナルランプ」と命名します。この商品が1年間に3万個のヒット商品となり「ナショナル」が電池式ライトの代名詞となります。
手持ち式だった「ナショナルランプ」は、ハンドルを両手で操舵できるように砲弾型にし、タイヤの上部に取り付けれるように砲弾型ヘッドライトとして実用新案を出願、30時間以上も使用し続けることができる電池式ライトは、従来のろうそく式や石油ランプを駆逐し、ナショナルの販売代理店は全国へとさらに拡大しています。
その後、日本は大きな戦争を経験し、敗戦からの復興を目指します。
軍事産業であった三菱や片倉工業は、平和産業である自転車生産に転業、
自転車の大きな需要に商機をみた幸之助は、追随するように自転車の製造にとりかかります。
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
松下電器はすでに大きな企業となっていましたが、幸之助の自転車にかける情熱は特別なものがあったようです。1987年にはスポーツ自転車「POS」の生産を開始、軍事産業からの転換企業の撤退が相次ぐなかで、自転車は米国にも輸出され高く評価されます。
米国輸出するにあたって、Nationalの商標を変更せざるを得なかったためPanasonicという名称を使用します。この時、後に社名になるとは誰が予想したでしょうか。
96年には家電製造で培った充電電池技術を生かし電動アシスト自転車「陽のあたる坂道」を発売。自転車は主婦層を中心に人気を博し「ママチャリ」という日本の独特の自転車文化が大発展していきます。ママチャリは日本人の土俗的な乗り物ようにも思えますが、1960年代半ばまでは不妊になると敬遠され、自転車は基本的に男性の乗り物で、世界的に見ても日本のように利用者の男女比が半々の国は稀な存在なのです。国内にて自転車が欧米の半値ほどで購入できるのも、ひょっとすると「水道哲学」の賜物なのかもしれません。
1989年「経営の神様」といわれた幸之助は、94歳でその生涯をとじます。
国民に明るい「道」を示したナショナルが「仏壇の灯」状態に
2001年にはPanasonicは電器部門の経営不振から傘下の自転車企業「宮田工業」を売却、08年には自転車タイヤ部門「パナレーサー」を中国企業に売却、自転車の製造も電動アシスト車に集中することでさらなる合理化をはかります。残念ながら、弊社との契約もこの時期をもって終了となりました。
自動掃除ロボットの開発技術力はあるが、
仏壇のろうそくが倒れて火事になるため商品化しない
私は家電業界のことはあまり詳しくありませんが、今もなおPanasonicが日本を代表するような超一流企業であることは間違いと思っています。ただ、もうナショナリストではありませんよとばかりにナショナルの看板を外し中国企業に事業を売却し目先の利益を得たり、祖業をないがしろにする姿勢は、聊かここでみたような翁の思いとは違うのではないかと思えてなりません。高い技術力を示したPanasonicが、自動掃除ロボットの開発に大きな遅れをとり、それがあたかも日本社会の問題であるといったこんな開発秘話は全く聞きたくはないものです。