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シマノ自転車博物館「ロードバイクの進化」展

昨年リニューアルしたシマノ自転車博物館に行ってきました。

 

 

もともと、大仙公園の仁徳天皇陵の南西側に博物館ですが、シマノが創業100周年を迎えた昨春に3.5倍に増床しリニューアルしました。新施設は以前の場所から北に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、新しく建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと南海「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになり利便性が向上、特別展「ロードバイクの進化展」を見てきました。

 

 

入館料は一般500円、自転車に興味のない小学生から自転車マニアまで誰でも楽しめるようディスプレイ方法や映像で工夫されていて、充分に満足できると思います。ビルは4階建構造で1、2、4階が鑑賞エリアとなっていて、特別展は4階北側の特別展示室で開催されていました。

 

 

展示のロードバイクはスチール・アルミ・カーボン製の車両がそれぞれ1台づつあり、東京オリンピックが開催された60年代から現在までを「近代化の時代」「挑戦の時代」「科学の時代」の3つの時代に分け、当時の機材と同時代に使用されていたウエアやシューズと併せた展示となっています。

 

 

前々回のブログ投稿で戦後復興期に開催されたロードレース「ツーリスト・トロフィ選手権」に向けて開発されたアルミ合金自転車の三菱重工「三菱十字号」を紹介しましたが、同モデルは現在のロードバイクとは大きく異なることは、誰の目に明らかだと思います。その後、自転車競技法は施行され、競輪が国内で実施されるとスポーツ自転車熱が沸騰、国内メーカーは1964年東京五輪が開催される頃には、欧州の技術水準に匹敵するロード車を内製できるまでになりました。

 


三菱重工「三菱十字号」(常設)

 

欧州の中でも、イタリアとフランスは選手経験を持つフレームビルダーが次々と現れ、経験を生かした高性能な競走専用自転車生産、展示の1972年製「CINELLI」は、フレームのスチールに様々な混ぜものをすることで強度や剛性を高め、軽量化されたロードレーサーです。円筒型の細身の鋼管はダイヤモンド形状で、高速走行するための機能美が追及されています。

 


近代化の象徴イタリア製のスチールロード「CINELLI」

 

80年代に入るとフレームはスチールからアルミやカーボンといった新素材へと進化し、欧州の伝統的なファクトリーに加えて、北米やアジアのメーカーも欧州レースに参戦します。米「cannondale」は伝統にとらわれない太径アルミと独自のアルミ溶接で新境地を開拓、90年には変速やペダルにも今までにない画期的な機構が登場し変革が起こりました。

 


▲ 挑戦の時代のアルミロード「cannondale」

 

さらに、これまで試行錯誤を繰り返していたカーボン(炭素繊維強化プラスチック)フレームのモノコック生産が確立、2000年以降は高レベルな強度と剛性に加えて、科学的実験に基づいた最先端の空力や設計が研究され、変速システムは電子制御へ進化しました。これらの進化はレース用途だけでなく、サイクリングを楽しむ層にも浸透し、「GIANT」の新型の女性向けカーボンロードバイク「LIV」が展示されていました。

 


▲ 科学の時代のカーボン製ロードGIANT「LIV」

 

これらの車両以外にも、特別展ではスチール・アルミ・カーボンの重量差が比較できるフレーム展示や昔のロードレースの資料も展示され、併せて進化の変遷を体感できるようになっていました。展示は2024年3月31日(日)にまでとなっています。ロードバイク好きならずとも是非ご体感ください。

服部緑地・集いの広場「シクロジャンブル」2023年秋

2023年11月26日、国内最大級のビンテージ自転車やパーツの蚤の市「シクロジャンブル」にいってきました。

 

シクロジャンブルは大阪北部・豊中市の服部緑地公園で開催される中古自転車と部品のフリーマーケットです。西日本最大規模で1999年から毎年春と秋に実施され、関西の自転車マニアの間では恒例の行事として定着しています。これまで、イベントは園内の「古民家集落広場」で開催されていましたが、今回から少し西側の「集いの広場」に会場を変えて行われました。地下鉄御堂筋線で「千里中央」行に乗り、そのまま北大阪急行「緑地公園」で下車、会場は園内を15分程歩いた陸上競技場の南側です。

 

 

朝9時スタートとなっていますが、8時半にはすでに大勢の人で賑わっていました。出店は誰でも可能でコレクターから業者など約50ブース、自転車部品の出店が多く、不用品から骨とう品まで様々な品々が交換取引されています。車体の出品は盗品売買の怖れから制約があり、メインはロードバイク・マウンテンバイク・ランドナー・ミニベロ・クロスバイク等の部品で新古品や年代不明のジャンク品などが活発に取引されています。

 

 

「インターネットやSNSの普及でこのようなイベントは消滅するかと思ったが、逆だった」

主催者の方に話を伺うと最初は出展者と客数が同じくらいの小規模な集いだったそうですが、最近はtwitter(現 X)やインスタなどで拡散され、東京や名古屋など遠方からも来場が増えているそうです。特に今年は前日にシマノ自転車博物館でイベントがあり、泊まりがけで参加している人もいたようです。

 

 

 

商品は一応、値札のような数字の書いたモノが張ってあるありますが、気になれば出展者の方に交渉してみるといいと思います。出品者は金儲けで来ている訳ではないので、譲ってもらえるかもしれません。特に昼頃になると持ち帰るのも荷物になるので、無料でもらえたり、おまけをしてくれたりします。出品側はプロではないので、手さげ袋・小銭・メジャー・ノギスなど工具は持参した方がいいかもしれません。

 

 

私は開店作業があるので、10時には現地を後にしましたが、天気も良くてこれまでで最高の集客だったように思います。このイベントは趣味人だけでなく周辺コミュニティの活性化の一役を担い、地域のブランディングに間違いなく貢献し、自然発生的な参加型イベントのロールモデルとして今後も継続してもらいたいと思います。今回、実行委員の方に話を伺い、イベント実施にあたって様々な苦労があることを話していただきました。大変な役割でただただ感銘するばかりですが、今後も滞りない運営をお願いいたします。

転換メーカーvs自転車業界「ツーリスト・トロフィー選手権」

太平洋戦争の最中、兵器など軍需重工業に傾斜していた日本の産業体制はポツダム宣言受託後に状況は一転します。GHQの監視下、軍需生産施設は全面停止となり、全く勝手の違う平和産業へと転進させられました。敗戦により鍋や釜など日用品や電気機器は不足、軍需工場は次々に転業、なかには自転車の製造に乗り出す企業も現れました。

畑違いの産業で参入は簡単ではなかったようですが、製造に乗り出した三菱重工・片倉工業・大同製鐵・萱場産業・日本金属産業・中西金属・大和紡績など14工場で、これらの企業は軍事開発での知見を活かし高度な技術で活発な動きを見せ、在来の自転車業界を脅かし「転換メーカー」と呼ばれました。

 

 

戦前にあって、全国的シェアを持っていたのは、東京の宮田製作所と大日本自転車、名古屋の岡本製作所でした。大日本自転車は現在のFUJIのルーツになる企業で、岡本は自転車製造を辞めて避妊具メーカーに転業しています。既存メーカーにとっても新興業者の殴り込みは脅威で、生き残りを賭けた自由競争時代の始まりでした。6年にわたった戦争の影響で1000万台あった国内の自転車保有数が半減、そこで日本自転車連盟は戦前に人気だったロードレースを企画しました。

 


東京~大阪間ロードレース「第二回ツーリストトロフィ選手権」

 

1947年当時はまだ自動車の交通量が少なく、日本の大動脈東海道を使い大阪から東京の600kmを3日間で走破する団体ステージレースが計画され、毎日新聞が主催、文部省・商工省の後援で、英国のレースにちなみ「ツーリスト・トロフィー選手権大会」とされました。第1回大会は大会は15チームが参加、大会は転換メーカーと既存の自転車業界の代理戦争となり、互いのプライドを賭けた真剣勝負が繰り広げられました。

 

レースをきっかけに一気に知名度を広げたい転換組、優勝候補筆頭の三菱重工は宮崎アニメ「風立ちぬ」にも登場する航空爆撃機の設計の本庄季郎が担当、航空機設計理論に基づき徹底的に強度計算を実施しこれまでの鉄製ダイヤモンド形状フレームの常識を覆したジュラルミン(アルミ合金)リベット接合のクロスフレーム自転車「三菱十字号」(英名:DUJEE)をレースに投入しました。

 


戦闘機の航空技術者が監修した三菱重工「三菱十字号」  シマノ自転車博物館所蔵

 

同じく転業組の萱場工業は、法政大を卒業したばかりのスプリンターの加藤一と契約、優勝を目指しました。加藤は法大在学中に東京美術学校(現在の東京藝大)に合格し数ヶ月間油絵を学ぶと法大に復学する文武に優れた秀才で、レース参加の後は競輪選手として活躍を見せるも颯爽と渡仏、画家とサイクリストの2足の草鞋で自転車雑誌に本場フランスの豊かな自転車文化を伝道しました。そして、日本代表の監督を務め、フランスのUCI(世界自転車競技連合)本部に掛け合いKEIRINの五輪種目入りの交渉人となった人物です。

加藤を擁する萱場チームは断トツの強さを見せ、1日目の大阪~名古屋間を制しましたが、勤続期間が規定に達していないと他のチームからクレームが入り、審判長の裁定で後着させられ、最終的には宮田チームが公式に優勝となりました。

 


㊧日本代表監督も務めた画家の加藤一 (42歳の頃の肖像写真)
㊨線画入りの仏ロードレースのレポート「ニューサイクリング」1967年9月号

 

翌年の第2回大会は今度は東京がスタート地点となり大阪を目指して15チームが参戦、ロードレースといっても東海道の70%が未舗装道、そこを時速60キロの猛スピードで走る自転車に沿道からは大きな声援がよせられ、第二回大会も既存メーカーの大日本チームが勝利しました。タイムは22時間7分21秒、二位の中西金属とは1秒差でしたが、ロードレースではこのたった1秒が勝者と敗者を生みます。

 

 

大会の表彰式は前回投稿の「復興大博覧会」で行われ閉幕、自転車業界は威信を高めました。同年12月には自転車競技法が成立し、国内では公道レースは下火となり熱狂は競輪場に移っていきました。また1950年には朝鮮戦争が勃発、ほとんどの転換メーカーは軍事産業に再転換し、1980年代に片倉工業が生産を辞めたのを最後に転換メーカーは完全に姿を消しました。もし、この時のレースで転換メーカーが勝利していたら、国内の自転車産業地図は今とは違った構図になっていたかもしれません。

戦後復興、四天王寺夕陽丘「復興大博覧会」成功の秘策

資材価格や人件費の高騰により2025年夢洲「大阪・関西万博」の開催が危うくなってきています。
なにわ商人の私としては、時期を遅らせてでもなんとか開催にこぎつけて欲しいのですが、どうも「いのち輝く未来社会」をテーマが1970年に千里で開催された大阪万博を引きずり、どこかワクワク感がないように思います。

 

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1970年というのはちょうどベトナム戦争の最中で、暴力革命によるマルクス主義が台頭、国内においてもエスタブリッシュメントやアカデミズムの中枢に共産主義ユートピア思想が入り込み、万博の計画委員にも西山夘三や丹下健三といったマルキストの建築家が名を連ねていした。開催中には、過激派が太陽の塔を占拠した「アイジャック事件」が発生するハプニングもあり、万博のテーマ「人類の調和」をいかに実現するかといった重要なテーマが課せられてました。

丹下は17才まではマルクス主義に陶酔していましたが、広島大学在学中に建築家のル・コルビジェの書籍に出会い転向、東京帝国大にて建築を学びます。コルビジェは著名な建築家で1925年パリ万博にて前衛的なパビリオンを出展、「300万人の計画都市」は丹下を大いに刺激しました。太陽の塔は「お祭り広場」というオープンスペースにそびえ立っていますが、70年以前の日本には中央広場という概念自体が希薄で、コルビジェの「公園の中のタワー」(Tower in Park)といった思想を反映、そして、マルクス主義ではなく土木や移動技術の進歩こそがユートピアを創造するといったコルビジェが描く未来を見事に投影し来場者を魅了しました。

 

 

戦後復興をテーマにした「復興大博覧会」

 

あまり知られていませんが、戦後間もない1948年にも、戦後復興をテーマにした「復興大博覧会」が大阪市の四天王寺北側の夕陽丘一帯で開催されました。米軍占領下、東京では戦勝国の事後法による一方的な戦後処理「極東国際裁判」がクライマックスを迎える最中、復興博は毎日新聞が主催し160万人の来場者を集め、跡地は建物を府が買収しそのまま活用し市立文化会館や郵便局などに転用されました。

 


四天王寺夕陽丘で開催された「復興大博覧会」 跡地はそのまま市街地となった

 

 

会場は約20のパビリオンが出展され、主なところでは京都館・兵庫館・外国館・西日本館といった地域振興の出展や衛生館・貿易館・理想住宅・復興館といった生活に根差した施設、そして、電器館・科学館・機械館・自動車館・日立館といった産業技術の紹介といったテーマ展示でした。

テーマ展示以外にも遊園地やサーカス、相撲や野球選手のサイン会、コンサートなどのイベントも開催され復興気分を盛り上げました。

 

 

なかでもひときわ人気だった自転車館は入り口付近に156坪の敷地に、自転車工業会と関西を中心とした70以上の自転車企業が出品しました。工業会は以下の11についての展示を実施、完成車は宮田製作所・新家工業(つばめ)・日米商会(富士)・サンスター・島野自転車をはじめ、三菱重工・片倉工業などの軍事産業からの「転換メーカー」も出品されました。部品メーカーのシマノも、生活物資の供給が乏しい戦後の6年間だけは「3・3・3号」という完成車を販売していました。

 

<復興博 自転車工業会の出品>
①自転車の歴史

②自転車関連資材
③自転車部品
④自転車保有台数
⑤自転車生産台数
⑥自転車工業現有勢力
⑦自転車の規格
⑧仕向地別輸出実績
⑨外国製自転車
⑩自転車スピード記録
⑪競輪関連(大阪府出品)

 

 


関西中心の自転車企業が出品した復興大博覧会「自転車館」

 

博覧会の開催期間は9月18日から11月17日の61日間、11月13日は「自転車デー」とされ盛り上がりを見せ、銀輪シャンソン発表会やダンサーをモデルにした自転車撮影コンクールといったイベントで会場は押すな押すなの大賑わいだったそうです。

 

復興博は十三日「自転車デー」というので八時前には会場正面廣場は身動きもならぬ人の波、四十分開門を早め八時二十分に開場<中略>自転車に乗れぬ娘さんも現れ大賑わいだつた。 (毎日新聞1948年10月14日)

 

 


抽選会やイベントで盛り上がった「自転車デー」 毎日新聞 1948年10月14日

 

復興博を主催する毎日新聞社は前年の1947年と2年間、東京ー大阪間の自転車レース「ツーリスト・トロフィ選手権」を自転車連盟と共催していました。13日は会場では3日間に渡ったレースの表彰が選手全員参加で行われレースの幕を閉じました。この大会は軍事産業から平和産業へと転換した新参メーカーと既存の自転車業界がプライドを掛けて戦ったレースで次回の投稿で詳しく説明させていただきます。

 

 


▲博覧会跡地に建つ天王寺郵便局  

 

 

万博の跡地利用と共進化

復興博の覧会会場をそのまま市街地とする構想は当時は「画期的」とされ、戦争未亡人の母子関連施設や郵便局、学校などが設置され、一帯は大阪屈指の高級住宅地となり文化的で、現在では住みたい街の上位にランキングされています。1970年大阪万博の敷地は公園と商業施設「ららぽーとEXPOCITY」となり、こちらも賑わいを見せています。

 

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大阪万博跡地「関西サイクルスポーツセンター」のおもしろ自転車コーナー

 

2025年開催予定の夢洲にはカジノを中核としたIR施設ができるとしていますが、そもそも万博が無事開催できるのでしょうか。

私は、昨夏の「安倍晋三銃撃事件」がひとつのターニングポイントだったと考えています。リオデジャネイロ五輪の閉会式で見せたスーパーマリオのコスプレパフォーマンスは世界にインパクトを与えました。かつてはまじめで勤勉だった日本人像は崩れ、いつしかマンガ・アニメ・ゲーム・アイドルに没頭し堕落、低い労働生産性・低賃金ひいては低成長国家に成り下がりました。しかし、外国人は意外なほどに日本のポップカルチャを受け入れ、今では重要なコンテンツとなっています。

 

 

 

 

原発爆発、ロケット打ち上げ失敗、国産コロナワクチン開発断念、GDP順位下降、インフレ貧困進行中、、、
「いのち輝く未来社会」とは程遠い現状を救い、未来を創造できるのは、ガンダム、ポケモン、ドラゴンボール、トランスフォーマー、ゴジラ、宮崎駿、アニソン、、、といった海外にはない日本の文化のように思います。今からでは遅いのかもしれませんが、中止するくらいならこれらポップカルチャーを中心に据えたエンタメ色強い万博に再計画できないものでしょうか。

維新「木を切る改革」の是非

秋も深まり、木々が色づく季節になってきました。

最近、イチョウ並木で有名な東京の神宮外苑では再開発を巡って、執行停止を求める活動家たちにより裁判沙汰となり物議を呼んでいます。外苑には周回1.2kmのサイクリングコースがあり、休日にはイチョウ並木道やコースを利用した自転車乗り方教室やレンタルサイクル、自転車レースなどが開催され、代議士の谷垣禎一氏が会長を務めていたJCA(日本サイクリング協会)の活動拠点となっていました。また、再開発で最も問題視されている超高層ビル建設予定地には、もともと青山アートスクエアという無料の美術館があり、毎年春には自転車をテーマにした展示を開催していました。

施設の更新や収益化は非常に重要なことですが、自転車産業に関わる者としてはサイクリングコースや自転車展は再開発後も残していただきたいと切望しています。

 


自転車展が定期開催された神宮外苑「青山アートスクエア」(2017年5月筆者撮影)

 

メディアは東京のことばかり伝えますが、大阪でも街路樹の伐採を巡って似たような問題が起こっています。お笑いトリオ「コント赤信号」のラサール石井氏は大阪の街路樹の伐採計画に対し、維新の「身を切る改革」をもじり「木を切る改革」であると怒りのアカ信号を灯しています。毎日新聞によると、大阪市は2022年夏から24年度にかけて街路樹や公園樹を計1万本を撤去する計画のようです。

大阪市では計画的に樹木が植えられ、街路樹の高木の数は政令市では4位の11万本、狭く公園も少ない割には樹木が密集し、植栽後50年近くが経過した街路樹の中には、根上がりによる通行障害や視認障害・視距阻害など、道路走行にも支障が出るケースもあるとのことです。

 

 

2018年9月4日の台風では、瞬間風速50m以上の猛烈な強風が大阪を襲い、街路樹が倒れ通行止めや停電が発生、サイクルショップ203がある「なにわ筋」でも倒木でバス停の屋根が損傷するなど甚大な被害があり、翌朝、出勤するとイチョウの大木が店前に横たわっていました。街路樹は憩いの景観や「都市の肺」としての緑化機能として不可欠なものですが、税金で維持管理する必然性からコストや費用対効果も併せて総合的にマネジメントする必要があります。

 

 

なにわ筋に平行して走る大阪のメインストリート「御堂筋」も4列のイチョウが植栽され維持管理され、欧陽菲菲「雨の御堂筋」に歌われ、名所となっています。市は2019年から御堂筋の道路空間の再整備に着工、6車線のうち2車線を自転車と歩行者の空間に転換する再編を進め、吉村洋文知事は37年までににぎわいと魅力ある街並みの創造のために完全歩道化を目指すとしています。

 

 

このような公共空間として街路を再定義する流れは世界的に見られ、近年の代表的なモデルとしてクルマ社会米国NYのタイムズスクエアの変革が評価されています。ブルームバーグ政権下でリーダーシップをとったジャネット・サディック=カーン交通局長は2019年に来日、東京都の小池百合子知事や京都の門川大作市長と面会、大阪でも御堂筋の取り組みを担当者と共に視察を行いました。

 

「日本に基礎的な自転車レーン網が備われば、自転車人口を容易に倍にしてみせることができるでしょう。日本の自治体のリーダーは、この重要性を認識して、優先的に取り組む必要があります。」

 

カーン女史は日本はサイクリスト(自転車利用者)の数が多く、大阪市はコペンハーゲンやアムステルダム同じくらい素晴らしい自転車都市をつくり出す資産が存在し、今ある街路だけでそれを実現できるとしています。そして、日本の街路を歩きやすく、自転車が乗りやすく、人にやさしいこれまでと違った視点で見る必要性があると言います。NYでは最初から完璧を求めず腰掛を置くなど試験的に街路を変える「パイロット・プロジェクト」を実施、するとタイムズスクエアで雪合戦が自然と始まるなど賑わいだしたといいます。

 


米国の車道に設置された駐輪場「アーバンストリートデザインガイド」全米都市交通担当者協会より

 

 

再整備で自転車人口が倍になるというのは現実性の低い数値ですが、重要なのは自転車レーンが御堂筋だけにとどまらず網の目の様にネットワーク化することだと思います。店の前のなにわ筋は再整備が行われておらず、いまだに歩道に自転車走行帯があります。街路樹のイチョウも2018年の台風で主幹が折れてしまいほとんどの木が自然な樹形が損なわれた状態となっています。なにわ筋のイチョウはヤマトシロアリの大量発生によって蝕まれ大きく活力度が低下、安全のために伐採しているようです。ヤマトシロアリは亜熱帯性の害虫ですが、近年の温暖化で北海道や青森でも被害が報告されるようになっているそうです。もはや生態系は破壊され、毎年6月にはなにわ筋はシロアリの捕食のためカラスとコウモリが集まり異様な状態になっています。

 

 

 

 

私は店を経営している都合、このような状況を2015年から指摘していましたが、毒性もなく外来種ではないと理由で対応はありませんでした。動画や画像を撮影し重ねて役所に出向きようやく殺虫剤の散布が始まりましたが、「害虫駆除の専門家ではないからわからんわ」と作業員の方は口にしていました。本年8月に波紋が広がったBIGMOTOR店舗前の植栽枯死疑惑も、このような行政な怠慢な管理体制が招いた惨事のように思います。

持続可能なまちづくりの実現のために街路の管理や再整備は不可欠ですが、前回も投稿したように大阪は財政的な問題も抱えています。英国の都市の再整備の成功事例を見ると、自治体のオープンスペースの再整備費の64%が公営くじ基金による内訳で税金負担なしでプロジェクトが進められているといいいます。

本ブログでは繰り返しになりますが、大阪府・大阪市は共産主義をこじらせ公営競技場を次々と廃止に追い込んだ黒歴史があります。カジノと異なり、公営競技は国内で100以上の自治体で半世紀以上実施されてきたギャンブルで、依存症対策も規範とできる健全性があります。大阪維新はいつまで共産主義時代の政策を踏襲し続けるのか、大都市なら在って然りの市営・府営の競輪場を早急に復活させ、安定した財源を確保すべきではないでしょうか。

「生駒山グラベル道」第1回現地調査

大阪と奈良の間に横たわる生駒山地を越えるにはいくつかの山道コースがありますが、自転車が通行可能な舗装道路は限られています。最大斜度40%以上の酷道「暗峠」(くらがりとうげ)と「サイクリストのための百名峠ガイド」(八重洲出版)にも選ばれた「十三峠」(じゅうさんとうげ)の2つの峠はとりわけ全国からヒルクライマーが集まるほど名の知れたコースとなっています。

 

 

暗峠と十三峠はおよそ6km離れていますが、2つの峠は山頂に近い標高500m付近で縦走道路で連絡しており南北に移動することができます。ただし、この縦走道は車両通行禁止で認可を受けた車両以外は自転車も含めて現在は通行はできません。両峠の入り口には入山者を拒むように車両侵入防止のゲートがあり、トレランのランナーに向けて歩行者とのトラブルとなる走行をしないように注意喚起の看板もデカデカと掲げられています。

 

 

道路の正式な名称は分かりませんが、地元の人は森林整備の自動車が通ることからこの林道のことを「管理道」や「なるかわ管理道」と呼んでいるようです。路面は全体の3分の2以上が未舗装で、幅員は3mほどあります。山中にあるものの高低差はそれほどなく、草木も刈り取られ歩きやすいようによく整備されていて、山地を南北に歩けるようになっています。

 

 

 

雨上がりの9月中旬で大阪市内の最高気温32度と汗ばむ暑さでしたが、山の中は市街地より涼しく峠の温度計は12時時点で27度と表示されていました。休憩をしながら6kmを2時間かけてハイキング、平日だったせいか人は少なく、散歩客が2人、ハイキングが3組、トレランが4人と合計男女10人ほどがいました。

 

 

 

途中で大阪の街を見下ろし休憩、地元の方にこの道について詳しく聞くことができました。

 

「昔は府がちゃんと管理していてこの道でレンタル自転車なんかもやってたよ、(生駒山地の)奈良県側の道は(自転車が)いけるけど大阪側はどこも自転車禁止や。橋下(徹知事)になってからアカンようになったわ、住友林業に委託なってからは閉鎖しとる道もあるで」

 

毎週来ているというシニアの男性は生駒山地の奈良県側と大阪側の管理のレベルに言及、府の財政悪化による改革による大阪側のサービスレベルの低下を嘆いていました。また、現在は自転車禁止ですが、かつては禁止どころか府がレジャーとしてレンタル自転車サービスをおこなっていたということを教えてくれました。

 

 

しばらく男性と話していると60歳代の女性が合流、2人は知り合い同志のようでした。ベンチに腰掛けて3人で談笑しているとランナーが走り去り、ふとゲートの看板を思い出し女性に状況を聞きました。

 

「えっ?? この山? この山、全然、人なんかおらんよ。ほんま、全然。私、晴れたら(毎日のように)来てるけど、ほんま、全っ然。つつじの時くらいちゃうかな」

 

この管理道は「府民の森」という施設を貫通、数百メートルに渡ってつつじが植えられていて区間があり、道幅もやや狭く一部が急勾配となっています。女性によると開花の時期は花見客が訪れることもありますが、その時期以外はランナーとのトラブルなど考えられないほど、誰も来ない山道だそうです。

 

 

 

サイクルショップ203がある道頓堀周辺は、海外からの観光客をたくさん押しよせ、最近ではオーバーツーリズム(観光公害)が問題化しています。生駒山地は大阪市内からも鉄道で30分程度で行くことが可能で、クマも生息していませんし遭難の危険も考えられない登りやすい山です。日本書記にも登場するほどの古い歴史があり、山中には寺社・仏閣・遊郭・遊園地などの観光資源や滝・洞穴などの自然も楽しめます。観光客の分散化のためにも、再び観光に力をいれ海外の方を呼び込むことはできないものなのでしょうか。

 

「新・観光立国論」(2015,東洋経済新報社)の著者で、日本の観光政策に詳しいデービッド・アトキンソン氏は2018年に大阪市中央公会堂で行われた講演にて大阪のこれからの観光産業の戦略を提起、私はこのシンポジウムを聴講して衝撃を受けて、それ以来、押し寄せる海外からの観光客の見方が大きく変わりました。

 

「LCCで来て、エアビーで宿泊する中国や韓国人は練習です。本当に観光立国を目指すなら、10時間以上かけて来日し7泊8日で泊まり、お金を落とす欧米人をターゲットとすべきなのです」

 

アトキンソン氏はアジア人観光客は踏み台に過ぎず、大阪が真の観光立国を目指すなら日本に長期滞在する欧米人を取り込む必要性をあると熱弁、そして、そのために必要なのは「おもてなしの心」や神社・仏閣ではなく、なんと「自転車」だというのです。どういうことなのでしょうか。アトキンソン氏の本業は日本の歴史的な文化財や工芸品の修復です。まさか、観光産業の講演でアトキンソン氏の口から自転車の活用を提言があるとは全く予想していなかった私はただただ混乱しました。

 

「欧米人でもさすがに7日連続で仏像ばかりだとうんざりします。アクティビティ、例えばマウンテンバイクとか自転車が必要なのです」

 

外国人は大阪城や京都の風情を楽しみに来日しているものだと思っていた私にはアトキンソン氏の話はほんとに目からうろこでした。たしかに、東京の高尾山には1日1万人ほどの登山者がいると聞きます。関西圏でも高野山(和歌山)・嵐山(京都)・六甲山(兵庫)・吉野山(奈良)は観光客が多く訪れますが、大阪の山に観光に来る人はあまりいません。かつては観光客を集めていた生駒山も廃寺、廃ホテル、廃病院など廃墟マニアの肝試しスポットとなり、遊郭の灯も消えかかっています。

 

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無残な姿の生駒山中の朝鮮寺廃墟群 2022年5月筆者撮影

 

2017年には自転車活用推進法が制定され、自転車を活用した観光「サイクルツーリズム」の振興が明記されています。滋賀県「ビワイチ」や和歌山県「太平洋岸自転車道」は国土交通省がナショナルサイクリングルートに制定、兵庫県淡路島もビワイチに倣い「アワイチ」として自治体がアピール活動をしています。大阪は自転車の一大生産拠点ですが、自転車観光という点ではまだまだ余地を残しています。本ブログでは生駒山地の縦走道を「生駒山グラベル道」として、将来的に自転車利用を可能にできないかを考察していきたいと思います。

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