自転車部品メーカーシマノが篤志で運営している自転車博物館 サイクルセンターで開催されている特別展「イタリアン自転車展」を見に行ってきました。
本稿では、展示車の1台から時代を変えたALANのアルミ製ロードバイクを紹介したいと思います。
ALANは1972年にルドヴィーゴ・ファルコ―二という技師がイタリアで興したブランドで、フレーム素材は鉄が当たり前の時代に、画期的なアルミ製フレームの自転車を製造し常識を覆しました。
ファルコ―二は「カンパニョーロ社の自転車部品はアルミでできているのに、なぜフレームは鉄なのだろう」という疑問から、狂人扱いされながらもアルミ製フレームの自転車の研究を開始。当時、カンパは軽量化のために部品素材を鉄からアルミへシフトしている時代でした。
そして、試行錯誤の末、アルミ製ラグにアルミ製パイプを接着するという工法でフレームを生産しました。しかし、当時の接着剤は紫外線に弱く技術も開発段階にあり、長年乗るとパイプが抜けるといった事例が発生していました。ALANの接手は接着面に工夫がされていて高強度で、レーシングバイクから市販車まで販売されました。
現在、鉄フレームではラグを使用した作成法はよく用いられますが、アルミ製はあまりラグを使用しません。ALANの成功をきっかけにアルミ製自転車は増加し、溶接技術が向上。丸型パイプが原則となるラグドフレームは、設計の際の自由度が高い溶接フレームに駆逐されてしまいます。
展示されているロードバイクは1973年にシマノがヨーロッパから2台輸入した内の1台で、現在は同博物館の館長の長谷部雅幸氏が選手時代に実際に使用し、全日本選手権3位など好成績を収めアルミの可能性を実証したその現車です。ただ、残念なことにチネリのサドル以外は当時使用した機材とは違うものがついているそうです。
シルバー色のアルミラグ部は一切飾り気はなく、トップチューブのパイプ径が25mm、ダウンチューブとシートチューブ径は28mmの鉄のようにスリムなアルミパイプは、ゴールド色にアルマイト加工されています。もともとはOEM生産用商材でドイツの某メーカーのステッカーが貼ってあったそうです。
同時に輸入されたもう一台はシルバーの地肌色で、分析研究用に解体されたようです。(分解の詳細は「ニューサイクリング」1975年1月号Vo122に掲載されています)
フレームには3種類の最適化されたアルミ合金が使用されていて、注目を浴びたいがために製作したのではなく、アルミ車の可能性を研究して本格的に製作されたものだとわかります。
その後、ALANの自転車はシクロクロス競技において独壇場といえる活躍をみせ、カーボンチューブを使用した新技術で他社をリードし、アルミやカーボンといえばALANの自転車という状態になったそうでう。今ではどこのメーカーでもやるようになりましたが、当時は時代の先をいった先進的なメーカーであったといえます。
■ 日本のアルミ自転車 三菱重工「十字号」
ALANがアルミ製自転車を開発する30年ほど前に日本ではすでにアルミ製自転車を国産化していました。
戦後、軍事産業から民需へ転換するために自転車製造へ参入したメーカーが数社ありました。三菱重工は戦闘機づくりの技術を応用しリベット打ちしたジュラルミンで自転車を製造していました。