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土浦のサイクリング拠点「PLAYatré TSUCHIURA」

(前回のつづき)

東京よりJRで50分、土浦駅に直結する商業施設「PLAYatré TSUCHIURA」(プレイアトレ土浦)に行ってきました。

 

アトレというのはJR東日本が運営する商業施設で、東京圏を中心に20施設以上駅ビルの開発を行っています。プレイアトレ土浦は2018年開業で、サイクリングをイメージした5階建て駅ビルで霞ヶ浦などサイクリングの拠点となっています。

土浦駅の改札から「ようこそ土浦へ」と書かれた青い線が施設内に伸び、自転車をそのまま館内に持ち込むことができる画期的な施設です。

 

 

テナントはカフェやラーメンなどの飲食店、コンビニや薬局・土産物屋、そして自転車店が入居していて賑わっています。店内はおしゃれで、観光客だけでなく親子連れや地元の人がのんびりとできる空間づくりがされていて、高校生が勉強をしたりしています。

 

 

地下には約200台の駐輪スペースがあり、レンタル自転車もあります。コインロッカーやシャワー、無料の更衣室など他の商業施設にはみられないフロアとなっています。無機質な内装にグリーンがレイアウトされ、今まで見てきたなかでも最もおしゃれな駐輪場でした。

 

 

少し茨城県をみくびっていましたが施設は感心するくらいサイクリングに特化していて、よく住民がこのような施設を受け入れたなと感心しました。大阪にもいくつか廃墟モールがありますが、同じような取り組みをしても良いのではないでしょうか。

 

 

この施設の極めつけは、駅の改札前に星野リゾートが運営する輪泊施設「BEB5土浦」があるというというところです。(つづく)

自転車博物館「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展

堺東のシマノ自転車博物館で開催中の「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」展をみてきました。

 

 

シマノ自転車博物館はもともと、大仙公園の仁徳天皇陵の南西側に博物館ですが、シマノが創業100周年を迎えた2022年春に3.5倍に増床しリニューアルしました。新施設は以前の場所から南に1km、堺市役所などがある市の中心駅の南海高野線「堺東」駅から徒歩5分の好立地で、更地から建てられた自社施設となっています。大阪市内からだと南海「なんば」から乗り換えなしで20分ほどで行けるようになり利便性が向上、特別展「古文書から紐解く江戸時代に考案された自転車」を見てきました。

 

 

施設の入場料は500円、特別展は2025年3月23日まで4階北側の特別展示室で開催され、追加料金は必要なく常設展示と併せて観ることができます。今回の特別展は「陸船車」と言われている舟の形の木製のレプリカが2台、享保年間の古文書の解説とともに展示されています。

 

 

 

 

2台のうち1台は「門弥式陸船車」(千里行車)と呼ばれる車で埼玉県の農民の庄田門弥(しょうだ もんや)が江戸時代中期1729年に制作されたとされる船の形をした乗り物で、踏み板を踏んで車輪を回転させる機構にぜんまいが組み込まれているとされ、実在したとするなら世界初の自転車となります。マクミランによってペダル式自転車が考案されたのが1839年なので実に100年近く前にこのようなペダル付の乗り物が考案されていたということです。

 

 

近江藩の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって書き写された「新製陸舟奔車之記」に解説と図面が記録され、方向を変える操舵機構はなく、後に考案される「久平次式陸船車」の原型となったとされています。復元されたレプリカはコム製のタイヤのないの木製四輪車で、構造図や後の資料を元に製作されたものとなります。

 

 

もう1台は「久平次式陸船車」(陸奔舟車)と呼ばれる舟型の三輪車で、1732(享保17)年に彦根藩の武士の平石久平次(ひらいし くへいじ)によって考案され、下駄でできたペダルで車輪を駆動して走る方式で、テレビ朝日が復元したものが現在は彦根市立図書館されているようです。

 

 

そもそも自転車の起源は1813年のドイツとされていますので、1700年代に西洋文明から遠く離れた日本のこのような乗り物の資料の存在は非常に興味深く、文明史におけるオーパーツと言えます。連綿と続いている西洋の自転車文明と接点がなく、途絶えてしまって現車が残っていないため、自転車史の原点と考えられることはほとんどありませんが、素晴らしい着眼点だったことは間違えありません。

 

 

 

 

|シマノ自転車博物館

[開館時間] 午前10:00~午後4:30(入館は午後4:00 まで)
[休館日] 月曜日(祝日の場合は火曜日)、年末年始
〒590-0073 大阪府堺市堺区南向陽町2-2-1
代表:072-221-3196

 

西日本最大、自転車の蚤の市「シクロジャンブル」2024 秋

ようやく秋らしくなってきた11月23日、国内最大級のビンテージ自転車やパーツの蚤の市「シクロジャンブル」にいってきました。

 

 

シクロジャンブルは大阪北部・豊中市の服部緑地公園で開催される中古自転車と部品のフリーマーケットです。西日本最大規模で1999年から毎年春と秋に実施され、関西の自転車マニアの間では恒例の行事として定着しています。これまで、イベントは園内の「古民家集落広場」で主に開催されていましたが、公園のリニューアルにともなって今回は「東中央広場」に会場が変更となりました。

延伸された北大阪急行「緑地公園駅」から公園へ向かうプロムナードを歩くとすぐ、中央に彫像のある噴水が見え、囲むようにブースが出展されています。緑地公園は、2022年からパークPFI制度により大和リースが管理者に選定され公園を管理、スターバックスやフードトラックが出展され以前より賑わいが出てきています。

 

 

朝9時スタートとなっていますが、8時にはすでに大勢の人で賑わっていました。出店は協力金1000円を払えば誰でも可能でコレクターから業者など約40ブース、自転車部品の出店が多く、不用品から骨とう品まで様々な品々が交換取引されています。車体の出品は盗品売買の怖れから制約があるため出品は少なく、メインはロードバイク・マウンテンバイク・ランドナー・ミニベロ・クロスバイク等の部品で新古品や年代不明のジャンク品などが活発に取引されています

 

 

絶好の行楽日和でいつもよりも広場には人が集まり、物珍しさから自転車に関心のない通りすがりの人もしげしげと様子をみています。出店者は関西だけでなく中部や関東地方からも日帰り遠征に来ているようで、ここでしか見られない珍しいものもあります。

 

「愛知県で自転車鞄の製造を25年、コットンや天然革を使用してます。要望にも応えますよ」

 

愛知県のかばん製造「RSAサンバッグ」はキャンバス地を使用した自転車鞄を手作り、普段は通信販売を行ってるようです。実際に大きさや風合いを確認でき、手にすると思ったより軽量で使いやすそうなバッグでした。商品を見ている人が「ショルダーバッグとして使いたい」というと、代表者の足立一雄さんは「後でカスタムして送りますよ」と日本製ならではの対応をみせていました。

 

 

他にも様々出店者がいて、商品は一応値札のような数字の書いたモノが張ってあるありますが、気になれば出展者の方に交渉してみるといいと思います。出品者は金儲けで来ている訳ではない(公園での商行為は禁止されている)ので、交渉次第では譲ってもらえるかもしれません。特に昼頃になると持ち帰るのも荷物になるので、無料でもらえたり、おまけをしてくれたりします。出品側はプロという訳ではないので、手さげ袋・小銭・メジャー・ノギスなど工具は持参した方がいいかもしれません。

 

 

主催者の方に話を伺うと、会場での自転車盗難に気を付けて欲しいのと、通路に自転車を置くのは避けてくださいと言っていました。イベントは20年以上続いていますが、管理が変わるたびに説明が求められ、手続きなどでいろいろと大変なようです。

 

珍百景、琵琶湖に浮かぶ三輪自転車の島「沖島」

少し古いデータで恐縮なのですが、2018年滋賀県は自転車産業振興会の調査で1世帯あたりの自転車保有台数で大阪府を抑えて全国トップ、官民連携で交通安全など自転車振興に取り組み、琵琶湖の湖畔を周遊する「ビワイチ」は、政府が後押しする地域活性化策「サイクルツーリズム」の成功事例の筆頭で、自転車は観光のみならずレジャーや移動手段として定着、環境問題というメガトレンドに沿った計画が住みやすさとつながり、神戸・京都が人口減に苦しむ一方で、滋賀県は人口を堅持しているという投稿を8月にしました。

今回はまた滋賀県、沖島に行ってきました。

 

 

沖島(おきしま)は琵琶湖に浮かぶ有人島で人口約250人、1時間もあれば一周できるほどの小島で琵琶湖東岸の近江八幡市の堀切新港と沖島を連絡する航路があります。堀切新港からは所要時間は5分ほどですが、1~2時間に1本しか運航されていませんので、島に行くには時刻票をみてからでなければなりません。船には数人ほど観光に訪れた人が乗船していて料金は片道500円、普通は往復で購入することとなります。

 

 

島の中央部は山で、港は島の南側にあり、集落か形成されています。木造二階建ての住宅と畑、細い路地という日本の原風景で自動車・鉄道はなく、徒歩での生活となります。集落の路地は基本的に舗装されていて、山裾には階段が整備され墓や神社があります。島の主な産業は水産業で多くの世帯は船を所有、男性は生活のため島外へも行くライフスタイルとなり、一応自動車運転免許はほとんどの人が取得しているようです。

 

 

自動車がないためもちろんガソリンスタンドもなく、島民の移動はもっぱら自転車となります。1時間ほどの調査で島内で237台の大人用自転車が確認され100%近い所有率となっています。そして、特徴的なのはその6割にあたる142台が三輪自転車である点です。

見わたせばそこら中に三輪自転車が無施錠に放置され、サドルの汚れを防止するためかおかきの缶カンが被せられています。

 

 

島の北側のカフェの店主の方に話を聞くと、かつては漁業で水揚げされた魚介類を運搬するために利用された三輪自転車が島民の高齢化に従って増加していったと言っていました。

 

「クルマがないからみんな自転車、のんびりした島でしょう」

 

店主は中年男性で金儲けというより島の良さを知ってもらうため、Uターンで訪問者向けのカフェを開業したそうです。島には病院もコンビニもありませんが、小学校があり島外から通学する子供がいて寂しい感じはしません。

 

 

 

船着き場付近には三輪自転車のレンタサイクルもあり、修理もそこでしているそうです。少し前までこの島は猫が多住する猫の島として注目されたようですが、この日に見た猫はたった2匹でした。三輪自転車を活用したライフスタイルは独特で、何かをきっかけ大きな注目を集め、評価されてもいいのではないかと感じました。

 

 

インバウンドで観光客でごった返している京都や大阪にうんざりしている方は一度訪れてみてはどうでしょうか。

アパッチの叫び「大阪府金属くず営業条例」反対自転車デモ

大阪は戦前より在日朝鮮人が多住し、特に大阪市東部の生野区・東成区の猪飼野(いかいの)と呼ばれる地域は現在でもコリアンタウンや朝鮮学校など独自のコミュニティが形成されています。戦後間もない頃は激しく職業差別を受け、在日朝鮮人はほぼ定職にありつけず75%が無職、多くは日雇いや古鉄収集で何とかその日を生き、ヒロポンやドブロクの密造・空き巣や洋犬盗といった社会秩序とは無縁のハードボイルドな生活を送っていました。朝鮮戦争が始まると金属くずの買取価格が暴騰、在日朝鮮人の10人に1人が古物屑鉄商となり、大阪では朝鮮人の古鉄窃盗団が暗躍しました。

 


リアカーで古鉄を回収する久保木修己  写真:「愛天愛国愛人」より

 

鉄道各社・鉄鋼業界や婦人会等から金属盗に関する陳情が相次ぎ、府は対応に追われました。金属盗の88%がよせ屋と呼ばれるこれらの鉄拾い業者を経由することから、1956年12月の府会の定例会にて、身分証明の提示やよせ屋の届出制度など買い取りを厳格化した「大阪府金属屑営業条例案」が提出され、議会にて質疑応答や懇談会が進められました。

 

「金属くず営業条例案は、盗品の金属類が金属くずとして売買されないため、よせ屋・ひろい屋について必要な規制をおこなう」(赤間文三 大阪府知事)

 

12月の定例会にて継続審査された条例案は賛否両意見が飛び交い混乱もありましたが、翌年の57年2月28日に賛成多数で、無修正で可決されました。

 


▲大阪府金属屑営業条例案提出で混乱する府庁「廃墟の中から」中西清太郎(1988,羊書房)

 

リアカーひとつで商売ができる鉄くず回収は在日朝鮮・韓国人にとって、極めて低資本で確実に現金が手にできる数少ない継続できる職種で、条例の制定は生活に困窮する朝鮮人の反感を買い、条例案が提出されたの56年12月18日、大阪府庁にて大規模なデモが実施されました。

前日の17日に再生資源取扱業者約500名によって府庁まで自転車デモが敢行され各党議員に陳情、翌18日朝11時過ぎには観光バス3台など業者など含む約1000名が「金属条例反対」のプラカードやのぼりを掲げ「我々を泥棒扱いする条例をブッつぶせ!」と叫び、隊を組んで議事堂の扉を押し破り気勢を上げました。

 


大阪府庁に押し寄せる在日朝鮮人 「日本鉄スクラップ業者現代史」(冨高幸雄,2017)

 

記帳が義務化されている条例の制定には字が書けない朝鮮人にとっては死活問題であり、死ぬしかないと声を上げたとされています。デモでは藁人形を掲げるなど大騒ぎとなり、府警は暴力行為・器物破損の疑いで関係者から事情を聞くなどして申し合わせました。

しかしながら条例成立後も古鉄盗は収まらず、58年10月には城東区の軍事施設「大阪砲兵工廠」から鉄くずを盗む朝鮮人窃盗団「アパッチ族」が新聞沙汰となり問題視され、府警は自転車盗の一掃作戦のため重点警戒網を敷き、組織犯罪の対策を取ります。ルポライターで、在日朝鮮人の黄民基(ファン・ミンキ)氏は「一人の自転車ドロの専門家を捕まえてみると、ついこないだまでは空き巣の名人と謳われた男であったという事実も実際にあった」として、古鉄盗は時代の表現者であるとしています。

 


府庁を取り囲んだデモ隊 「矢田戦後部落解放史1」(部落解放同盟矢田支部編,1980年)より

 

本ブログでは、現在の大阪におけるローカル中古自転車チェーン店につながる在日朝鮮人による静脈産業について、これまで批判的な立場で実態の調査・考察してきました。

古書店の「ブックオフ」が講談社や集英社など出版業界と接点がないのと同様に、大阪の中古自転車店も一般的な国内の自転車産業とかかわりが薄く、シマノやジャイアント、ブリヂストンサイクルなどの企業と共存関係になく異質な閉鎖市場を形成しています。

メディアが取り上げられることはほとんどありませんが、外国人経営の中古自転車チェーン店は様々な問題を抱えておりその実態はベールに包まれています。特に私は大阪市がこの負のスパイラルに加担していることが最大の問題であると考えています。

 

 


半島へ北送される中古自転車 [京都・舞鶴港] 読売新聞 2003年6月14日

 

1967年4月には、1000台以上の自転車を盗んだとされる「自転車ドロ名人」高 基雲(コ キウン)が逮捕され、西成周辺の中古自転車店から次々と高の盗んだ自転車が押収、当時の金額で1000万円相当、東署は押収車で自転車預かり所のようになり、盗品売買の闇ルートの一端が公然となりました。

 


高基雲逮捕で明るみになった闇ルート  大阪日日新聞1967年4月10日

 

大阪府庁ではこのデモの9年前の1948年にも在日朝鮮人による大規模暴動事件「大阪朝鮮人騒擾事件」が発生、在日朝鮮人が府庁を占拠し、政府が非常事態宣言を発令する事態となり、府警の警邏体制が抜本的な改革がされました。同事件は暴力によって政府が方針を転換するという悪しき前例で、断固としてこのようなことは許されません。

戦後、緊急事態宣言が発令されたのはコロナ・福島第一原発事故・国鉄危機と同事件の4例のみですが、なぜか誰も事件を顧みることなく風化してしまっていて、在日3世4世は初耳の人も多いのではないでしょうか。しかしながら、このような系譜は途絶えた訳ではなく現在も脈々と大阪の地下に根を張り独自のコミュニティを形成しています。

大阪は全国で最も自転車盗が多い都道府県となっていて、私はこの問題を軽視しておらず、多くの人に事実を知っていただき、行政がさらなる対応をすることを望んでいます。

グラングリーン大阪の駐輪場問題

梅田北ヤード跡にできた都市公園「グラングリーン大阪」が一部開業したようなのでに行ってきました。

関西最後の一等地とされ再開発が進められているうめきた、大型複合施設「グランフロント」に次いで西側に広大な芝生公園と商業施設・ホテル・オフィスビルなどが段階的に開業し、2027年頃までに全体がまちびらきとなる計画となっていて、関西経済の起爆剤として注目を集めています。

 

grand green osaka

 

ご存じの通り梅田は日本屈指の商業エリアで、すでに多くの商業施設が林立し2010年代にはオーバーストアを懸念されていました。阪急・阪神・大丸の老舗百貨店やヨドバシ・ルクア・HEP等の人気テナントに加えて今夏にはJPタワー「KITTE大阪」や大阪ステーションシティ「イノゲート大阪」が誕生し、関西万博をひかえてさらに拡大しています。グラングリーン大阪は植栽や街並みが見事にレイアウトされ、都市の価値を創出がこれまでにない規模で提案され、ごちゃごちゃした大阪のイメージを大きく変える憩いの空間となっています。

 

 

更地だった5年前、この場所で自転車イベント「BIKERORE」が開催、特設の自転車土走路コースやブースが出展され、開放的なアウトドア空間に多くの人が魅了されていました。もともと国鉄の操車場だった広大な敷地が、すべての人を受け入れる都市機能を備えた理想的な空間となっています。

ミナミや京都と比べてインバウンド需要を取り込めていなかった梅田、忽然と姿を現したユートピアで巻き返しとなるのでしょうか。

 


自転車イベント「BIKERORE」会場となったうめきた   2019年3月撮影

 

 

JR北側の開発が盛んな一方で南側の「ブリーゼブリーゼ」「E-ma」などのファッションビルに空きが目立ち、阪急線を挟んだ東側の茶屋町もLOFTが閉店を発表するなど勢いを失っています。再開発はまだ中途で、公園もつくりかけなのでなんともえいませんが、南港「ATC」やJR難波「OCAT」のように予定通りに開発が進まず不採算化した事例もあり、期待通りになるのか注視したいです。

一般的な商業施設はオープンの日が最高潮となり、次第に客数が減っていくものなのですが、官民が連携したパークPFI事業は、樹木の生育などの循環型環境の構築を周辺住民や公園利用者を巻き込み実現していくため、イベント等でいかに利用者をとりこみ、賑わいを創出できるかがキモとなります。

 


うめきた広場で開催された「DOWNTOWN BMX」  2023年8月

 

しかしながら、グラングリーン大阪は園内に駐輪場がなく、10分以上離れた有料の駐輪施設を利用しなければいけません。大阪城公園や天王寺公園(てんしば)には園内に無料の駐輪場があり、ドア・ツー・ドアで公園に直接行くことできますが、うめきた公園にはそのような気軽さがないのです。

中之島公園大泉緑地ののように園内にサイクリングコースをつくれと言っているのでなく、日常生活の延長として公園を利用できるように設計する必要性があるように思います。都市交通を人体に例えるなら、鉄道は大動脈、自転車は毛細血管となります。血栓ができては健全な街となりません。

 

 

実際に大阪で日常的に利用されている自転車はママチャリで、読んで字のごとく子育て女性(ママ用自転車)です。私はこのままでは、うめきた公園は大阪の子育て世代に支持されない公園になるのではないかと危惧しています。人の多い梅田駅から1駅ほどの距離を歩くのも子連れには大変ですし、わざわざ駐輪料金を払うなら「てんしばでええわ」となるのではないでしょうか。大阪市は毎年6万台以上自転車撤去がされるほど駐輪施設が充足していません。駐輪場がないのが設計ミスなのか、これから造るのかは分かりませんが、グラングリーン大阪にはエコロジーで社会課題を解決が期待されています。

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