2023年4月の道路交通法の改正により、自転車使用時のヘルメットが努力義務化となりました。サイクルショップ203でも、以前まではそれほど売れていなかったヘルメットも一時完売するほど品薄となり、着用率も徐々に向上しています。
まちを見渡しても警察官がヘルメットを着用で巡回するなど法改正の徹底が見受けられます。令和になり奈良・和歌山と政治家襲撃事件が相次ぎ、危険な任務と隣り合わせの警官はなおさら自衛のためのヘルメットは必須といえます。
テレビも無ェ ラジオも無ェ クルマもそれほど走って無ェ
ピアノも無ェ バーも無ェ お巡り毎日ぐーるぐるっ!
1984年にヒットした吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」。歌詞に「クルマもそれほど走って無ェ」とあることから、お巡りさんが自転車を使用してパトロールをしている田舎の原風景が思い浮かびます。テレビやピアノが普及していない辺境の田舎でも警官による巡回網が機能、自転車警備の実施よって全国津々浦々まで治安維持を担い、80年代初頭にはすでにそれが日常の光景となっていました。当たり前の光景となっていますが、カーチェイスや射殺が繰り広げられる海外の様子と比較すると、警察武道と自転車で世界最高屈指の治安の実現をしている日本の警察は異常なまでに優秀なように思います。
全国で初めて警察のパトロールで自転車が採用されたのは終戦間もない1949年で、大阪市の阿倍野・城東・大正・南の各警察署にて試験的に導入されました。英米の制度を参考に、従来の派出所による固定勤務から「点から面へ」「警邏第一主義」に活動重点が改革されました。警邏(けいら)という言葉はあまり聞き慣れませんが「パトロール」のことです。自転車警邏が大阪から発祥した経緯は、当時起きたある事件が関係しています。
▲ 大阪の治安維持に導入された「自転車警邏隊」 大阪府警察史(1973年発行)より
1947年に施行された新憲法では国民は集会の自由が保障され、公共の秩序を無視した大衆運動が一部で過激化、全国各地で衝突が発生しました。連合国軍総司令部GHQは在日朝鮮人の子供たちも教育基本法に従い日本人学校への編入を指示、朝鮮人学校の閉鎖を命令しました。これに対して在阪朝鮮人は「朝鮮人教育問題共同闘争委員会」を組織し、閉鎖の撤回を叫び抗議運動を展開しました。48年4月23日、府庁前の大手前公園には7000人の朝鮮人等が集結、府庁正面の警戒線を突破し4000人が庁内に乱入し、ガラスや調度品を破壊、電話線を引きちぎりなど暴行に発展し、179人が騒擾罪で検挙される大暴動「大阪朝鮮人騒擾事件」が発生しました。
▲「大阪朝鮮人騒擾事件」大阪府庁に乱入する朝鮮人デモ隊 大阪府警察史(1973年発行)より
同事件では戦後初の非常事態宣言が発令され、翌48年以降もデモが断続的に発生、大阪市警視庁では惨事を未然に防ぐ警察活動が論議され、警邏員の任務を重要視するように基本規定され、制度が改革されました。これにより所轄の受持区が「徒歩・自転車・出張所」の3つに区分けされ、科学的な方法をもって合理的かつ適正に配置されました。
「警ら員は、公安の維持、生命および財産の保護犯罪の予防ならびに警視庁がその執行の責任を持つ諸法令違反者の逮捕の責任を負う」 (第37条)
しかしながら、朝鮮人による陳情抗議はこれで収まった訳ではありませんでした。朝鮮戦争が激化する中で、反米思想が強くなり、在留した朝鮮人は複雑な状況に置かれ、朝鮮学校問題を含めて現在でも禍根が残っています。
▲国内で使用されている警察官用自転車 自転車文化センター「働く自転車展」(2020年撮影)
1951年11月10日夕方、在日朝鮮人の安重鎔は泥酔状態で生野の自宅に帰る途中、自転車で路上に倒れ腹部を打ち付け、パトロール中の警官に保護されました。これがまたまた惨劇の引き金となったのです。(次回につづく)