昨夏の高校野球の決勝は和歌山代表の智弁和歌山と奈良代表の智辯学園の兄弟校対決となり、和歌山校の勝利で幕を閉じ、歓喜の輪をつくらない優勝シーンがとても印象に残り話題となりました。前年には元メジャーリーガーのイチローさんが指導するなど注目も集めました。野球だけにとどまらず、ブラスバンドの応援は「ジョックロック」は魔曲と評され、礼儀正しく進学率も県下屈指となっています。

そして、イチローさんは同校の教職員と草野球チーム「kobe chiben」を結成しまた話題を呼びました。

 

和歌山、奈良、神戸とくれば「大阪」はないのだろうか ― 大阪人としてはそんな疑問がわいてきますが、残念ながら、智弁学園は奈良と和歌山にしかなく、野球チームも存在しません。しかし、大阪は無関係ではないようで、そのあたりを調べにサイクリングに行ってきました。

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中之島の大阪の市役所から川沿いにサイクリング道が敷設されています。この自転車道は「北大阪サイクルライン」と呼ばれ、千里の吹田市の万博記念公園までつながっています。コースは23kmほどでほぼ平坦「大川」から「淀川」に入り「鳥飼大橋」を左折し北上します。

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淀川に架かる「鳥飼大橋」は、守口市と摂津市をつなぐ無料の橋で、この橋がおよそ万博までの中間地点となります。淀川の河川敷をそのまま行くと京都方面に行くことができ、むしろ万博側に行くサイクルリストの方が少数派となります。というのも、鳥飼大橋~万博公園の区間は一般道で、自転車で走行しやすいような道路整備環境があるという訳ではないからです。

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大阪人には説明するまでもありませんが、万博公園は1970年に開催された「大阪万博」の跡地で、現在は有料の自然公園となっています。近代芸術の最高傑作「太陽の塔」をシンボルに、周囲は大阪大学やJリーグチーム「ガンバ大阪」のホームスタジアムなどがある計画的に開発された地区となっています。特に公園南側は2009年に商業施設「エキスポシティ」が開業、16年にはガンバの新競技場「パナソニックスタジアム吹田」が完成、そして昨年5月には「万博記念公園前周辺地区活性化事業」計画を発表し2027年にホテルやオフィス、1万8000人収容の巨大アリーナなどスマートシティ構築をうたっています。交通インフラは現在のところ「大阪モノレール」のみですが、将来的には拡充も予定しているようです。

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そもそもなぜ、大阪平野の北の端のこんな場所で万博が開催されたのでしょうか。国立大学も一般的には県庁所在地に立地しているもので、「ガンバ大阪」も他のチーム倣うなら立地都市を冠し「ガンバ吹田」となります。私はこの公園のすぐ近くの箕面市の南東部の小野原出身で、高校時代には公園内でアルバイトをしていたこともあり、その頃からそれがずっと引っかかっていました。

立地としては吹田市と茨木市の境界に位置し大阪中心部から20km、神戸や京都からも40kmと京阪神の中心に位置しているだけでなく、モノレールを利用すれば「大阪空港」経由で全国の空港から日帰り利用もできます。確かに、新都市の立地としては打ってつけなのかもしれませんが、私の生まれる前、母の世代はこの一帯は野山や田畑で、万博候補地としてそれほどふさわしかったとも思えません。

そこで一つ頭に浮かぶのが、昭和期に目覚ましく発展した新宗教「辨天宗」の存在です。

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パナソニック創業者の松下幸之助は、自身が「経営の神様」と崇める一方で、浅草寺の雷門に提灯を寄贈したり、天理教の教えを会社経営に導入した「水道哲学」を提唱するなど信仰熱心な人柄だったといいます。なかでも、高野山真言宗系の新宗教「辨天宗」を礼賛していたようです。

そして、その「辨天宗」の本部は、万博公園のすぐ北側の茨木市に所在しているのです。

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「辨天宗」は昭和初期の1934年に奈良県の大森智辯に弁才天が憑依し興った新宗教です。

大陸から伝来したそれまでの仏教が寺院や僧侶を中心となりお経を唱えたり宗教行事をしていたのに対し、辨天宗のような貧困層の教祖が突然覚醒するタイプは宗教学では「民衆宗教」と言われているようです。このタイプの新宗教の起こりはペリー来航の頃まで遡ります。
米国と不平等な「日米和親条約」を締結以来、銀の大量流出で国内情勢が不安定になり、幕府が倒れます。そして近畿地方を中心に各地でこのような新宗教が次々と誕生します。代表的なものを列挙しますと、1838年奈良県「天理教」、1859年岡山県「金光教」、1892年京都府「大本教」、1916年大阪府南部「PL教」などこれらの新宗教は今でも多くの信仰を集めています。私は宗教の専門家ではないので「辨天宗」が民衆宗教の部類なのかどうかは良くわかりませんが、教祖憑依型の仏教の中でも比較的新しいといえます。

そして、辨天宗は、万博開催が千里に決定した同じ年の1964年にこの地を本部とします。

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高速道路の高架をくぐると、車の数は少なくなり小高い丘を道なりに進むと寺院にしては割と新しめの施設が見えてきます。参拝は無料で、古刹と同様に本堂に本尊が祀られているようです。私は信者ではありませんが、ひとまず賽銭を投げ入れコロナ終息を祈願、敷地は広くこの日は私以外にも数名の参拝者がいました。

もうお気づきだと思いますが、智弁学園は辨天宗によって宗祖の大森智辯の名を取り開校した高校です。

大森については、他界した石原慎太郎が作家時代に産経新聞にて連載の「巷の神々」(サンケイ新聞出版 1967年)にて、特殊な能力について記しています。石原は感謝祭でこの地を訪問し、「盲」や「おし」そして癌といった現代医学では対処できない不具を治癒したという話を大森に面会し、仰天の奇跡の逸話の数々を聞いたとしています。私も年齢のせいか肩コリがひどいので治して欲しいのですが、智弁は1967年に亡くなり、現在は大森光祥という方が代表を務めているようです。

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本堂の横には信者会館というコンクリート造りの建物が鎮座、さすがに中には入れずおずおずと端にある土産物店を遠目で見ていると、光祥代表かどうかは分かりませんがお坊さんが会釈をして通り過ぎていきました。

 

境内にはひときわ目立つシンボルの塔が立っていて、聖地を表象しています。

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新宗教というと最近では「創価学会」が躍進していますが、一方で多くの民衆宗教は「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」(1995年)などの影響もあって、PL学園の野球部休止や淡路島の大観音立像解体など宗教離れが表面化してきています。このような新宗教にとって甲子園は教団の広告塔という重要な役割を担って、PLの野球部休止は教団の弱体化を意味し、信者獲得という面でも痛恨といえます。

本堂とシンボル塔の間には、笹川良一が母を背負い歩く銅像があります。
笹川はモーターボート競走の生みの親で、もともと同地区選出の政治家でした。

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松下幸之助と同様に辨天宗を信仰し、シンボル塔も1970年に笹川が寄贈したようです。笹川は自身を東洋一の金持ちを自称し、各方面に多額の寄付をしていました。政界にも顔が利き、フィクサーとしての一面もあり、万博誘致にも笹川の影響力があったとされています。

陰謀論のような話になってしまいますが、千里で万博が開催されたのは、もしかすると辨天宗の影響があったのかもしれません。

新宗教の本部というと何かもっと魑魅魍魎としておどろおどろしく怪しい場所を連想していましたが、行ってみると至って普通の施設でした。ただ、寺院建築は木造でないと雰囲気が出ないと感じました。

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